報告書案が示された経緯
法務省は2026年8月24日、有識者による「売買春に係る規制の在り方に関する検討会」(座長=北川佳世子・早稲田大学大学院教授)の会合で、これまでの議論を踏まえた報告書案を示した。
報道によると、報告書案の柱は次の2点である。
- 現在は「売る側」だけに罰則がある勧誘等罪の対象に、「買う側」も加えること
- 同罪の罰金の上限を引き上げること
検討会は2026年3月24日に初会合を開き、1956(昭和31)年制定の売春防止法について、制定から70年で初めての抜本的な見直し議論を続けてきた。今回の報告書案は、その到達点を文書の形にしたものにあたる。
法務省は9月中に報告書をまとめ、秋の臨時国会に改正法案を提出する方向で調整しているとされる。議論が「検討」の段階から立法作業の段階へ移る見通しとなった。
現行法の「不均衡」とは何か
売春防止法が定める勧誘等罪の法定刑は、現行では「6月以下の拘禁刑(従来の懲役に相当)または2万円以下の罰金」である。
問題とされてきたのは、この罰則が路上での客待ちや声かけなど「売る側」の行為にのみ適用され、同じ場所で同じ取引に関与する「買う側」には処罰規定がない、という構造だ。街頭での取り締まりでは、女性側だけが検挙され、相手方の男性は事情聴取を受けても罪に問われないまま帰される、という結果になりやすい。
報告書案は、この点について複数の委員から「現行法上の不均衡を是正する必要がある」などの意見が出て、異論はなかったと明記しているという。買う側を規制対象に加える方向性そのものは、検討会内でおおむね共有されたことになる。
具体的な規制のかたちとしては、売る側と同様に「公衆の目に触れる形での勧誘」を罰するべきだ、という意見が報告書案に紹介されている。取引そのものではなく、街頭など公然と行われる勧誘行為を捕捉する、という枠組みである。
なお、罰金上限の引き上げについて具体的な金額水準は、報道からは確認できていない。現行の「2万円以下」が1950年代の貨幣価値のまま据え置かれてきたことへの是正という位置づけとみられるが、最終的な数字は報告書の取りまとめと法案化の過程で決まることになる。
「売買春そのものの処罰」には慎重
一方で、売買春の行為そのものを処罰対象とすることについては、検討会内で慎重な声があったと報じられている。買う側を一律に処罰する、いわゆる「北欧モデル」型の全面的な買春処罰には、報告書案は踏み込んでいない。
ただし、無条件に見送られたわけではない。売春当事者の心身の障害や経済的困窮など、脆弱性に付け込んだ買春については「処罰規定を設けるべきだ」との意見も出たとされる。
つまり報告書案の構図は、おおむね次のように整理できる。
| 論点 | 報告書案での方向性 |
|---|---|
| 買う側の勧誘行為 | 規制対象に加える(異論なし) |
| 勧誘等罪の罰金上限 | 引き上げる方向 |
| 売買春の行為そのもの | 処罰化には慎重論。ただし脆弱性に付け込む買春は処罰規定を求める意見あり |
街頭の「勧誘」という可視的な行為から不均衡の是正に着手し、行為そのものの是非という重い論点は先送りする——という、段階を踏んだ設計になっている。
検挙の実態との関係
この見直しが現場に与える影響は小さくない。近年、東京・新宿の大久保公園周辺をはじめとする繁華街では、路上での客待ちを対象とした摘発が続いてきた。当サイトでも、2026年上半期に歌舞伎町・大久保公園周辺で「客待ち」の女性のべ40人が逮捕され、最年少が16歳だったと報じられた件を扱っている。
こうした取り締まりでは、逮捕されるのはほぼ一貫して女性の側だった。取り締まり強化によって立ちんぼが公園周辺から路地やホテル前へ分散したと現地報道が伝えた際にも、「残ったのは買う側の男たち」という指摘が出ている。
買う側の勧誘行為が処罰対象に加われば、警察は同じ現場で双方を立件しうる法的根拠を得ることになる。もっとも、実際にどこまで運用されるかは、構成要件がどう定まるか、そして立証をどう行うかに左右される。「公衆の目に触れる形での勧誘」という枠組みが採られた場合、路上での声かけは捕捉できても、SNSやマッチングアプリを介した個別のやりとりは対象外となる可能性がある。
背景
売春防止法は1956年、戦後の赤線廃止を背景に成立した法律である。当時の立法思想は、売春を行う女性を「保護更生」の対象とみなす一方、買う側の男性は法の視野にほとんど入れていなかった。刑事罰の非対称は、この70年前の前提をそのまま引き継いだものだ。
その前提と現実の乖離は、近年とりわけ大きくなっている。ホストクラブの売掛金を背負った女性が違法スカウトを介して性風俗店に送り込まれる構図が繰り返し摘発されるなかで、処罰されるのは経済的に追い詰められた側であり、需要をつくる側は制度上ほぼ無傷のままだ、という批判が国会でも重ねられてきた。
今回の報告書案は、その批判に対する法務省側の最初の具体的な回答である。ただし、扱われたのは「勧誘」という行為の対称化にとどまり、買春そのものを違法とするか、あるいは逆に当事者を非犯罪化するかという根本的な選択は、なお開かれたままだ。海外では「買う側」処罰を導入したフランスと、合法化・規制の道を選んだドイツとで対照的な結果が報告されており、日本がどちらの軸に寄るかは、9月の報告書取りまとめと臨時国会での審議を待つことになる。
性風俗業界にとっては、店舗の営業許可を規律する風営法とは別に、街頭勧誘という「入口」の部分で規制の形が変わることを意味する。改正が実現すれば、売春防止法が制定70年で初めて、罰則の構造そのものに手を入れられることになる。
本記事はNHK、朝日新聞、共同通信、産経新聞、毎日新聞等の報道をもとに構成しています。罰金上限の具体的な金額など、報道で確認できていない点は断定を避けています。